【日本の 歴史】日本の 「国」って なんだろう? 【丹波国、武蔵国って 何?】
2021/06/21
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夏 燈花会 © 中村公彦 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)
日本の「国」に 関する 歴史
日本の 「国」は、 2000年以上 前に できました。
「後漢書」は、中国の 古い 歴史書です。
「後漢書」に、日本の 「国」に ついて 書いてあります。
57年に 「漢」の 皇帝(Emperor)が、 日本の 中に あった「奴国」の 王様に
金印を あたえました。
「漢」とは 昔の 中国の ことです。
▼ この金印は、江戸時代に、いまの 福岡県志賀島で 発見されました。
国宝に 指定されています。
この 金印には、「漢委奴国王」と 書いてあります。
当時の 日本は 委と 呼ばれていました。
漢は、 日本に 友好の しるしとして、 金印を 送りました。
「後漢書」とは 別に、200年代に 書かれた、中国の 歴史書が あります。
(「漢書」地理志)
その本によると、 当時の 日本には 100以上の 「国」が ありました。
地方ごとに 分かれた 「国」
現在の 日本には 47の 都道府県が あります。
都道府県とは、 日本の 地方の 単位のことです。
「地方自治法」という 法律で 決められています。
都道府県の 最高責任者は、 「知事」です。
昔の「国」は、いまの「都道府県」の ような、 地方ごとの 単位でした。
これは、701年に「大宝律令」で 決まりました。
「大宝律令」は、 日本で はじめてできた 本格的な 法律です。
▼「大宝律令」を 決めた 朝廷(Imperial Court)、平城京の 跡地
「大宝律令」が できたあと、日本は 「五畿七道」という 8つの 地域に 分かれました。
さらに 68の「国」も できました。
「国司」という リーダーが、 「国」を 統治しました。
「五畿」とは?
「五畿」は、朝廷(Imperial Court)の まわりにある 5つの「国」のことです。
この 5つの 国は いまの 日本の 首都圏のような ところでした。
五畿:
- 大和
- 山城
- 摂津
- 河内
- 和泉
いまの
首都圏:
- 東京都
- 千葉県
- 埼玉県
- 神奈川県
- 茨城県
- 栃木県
- 群馬県
- 山梨県
この5つの 国は、「五畿内」とも 呼びます。
「七道」とは?
朝廷は「五畿」以外の 地域を、「七道」という 7地域に 分けました。
この7つの 地域を
- 東海
- 東山
- 北陸
- 山陽
- 山陰
- 南海
- 西海
と 呼びます。
そして 朝廷は、7つの 地域すべてに 「国」を 置きました。
国の 名称の ルール(字数と 字の 使い分け)
漢字で 2文字
朝廷は 738年に 国の 名前を 漢字 2文字にすると 決めました。
漢字 1文字の 国
むかし
- 「紀伊国」は「木国」
- 「和泉国」は「泉国」
- 「阿波国」は「粟国」
という 名前でした。
このように 漢字で 1文字の 名前の 国もあります。
漢字 3文字の 国
- 「上野国」は「上毛野国」
- 「下野国」は「下毛野国」
という名前でした。
漢字で 3文字の 国も ありました。
文字の 使い分け(前後や 上中下 など)
- 「越前、越中、越後」
- 「備前、備中、備後」
- 「上野、下野」
などの 名前の 国が あります。
そして 前後ではなく「後」の代わりに「奥」を 使っている 国も あります。
これらの 国は 「三陸」と 呼ばれています。
具体的には
- 「陸前」
- 「陸中」
- 「陸奥」
の3つの 国です。
朝廷は 都が あった「五畿内」の 地域から 近い国に 「前」や「上」を 付けました。
これが 国の 名前の ルールです。
このほか「遠近」の 文字を 前に 付けた 国も あります。例えば「近江」や「遠江」などの 名前の 国です。
これらの 国の 名前に ついている「江」は「淡海:淡水の湖」という 意味です。
淡水とは、 塩の 入っていない 水の ことです。
「五畿内」の 近くには、 2つの 淡水で できた 湖が あります。
近い 場所に あるのが 琵琶湖です。
この 湖の 近くに あるのが「近江」です。
そして 遠い 場所に あるのが 浜名湖です。
この 近くに ある国が「遠江」です。
「国」の 数と、 都道府県の 数を 比べてみよう
「国」の 数は 時代によって 少し 差が あります。
だいたい 国は 68で、都道府県は 47です。
「国」の 数は 都道府県の 数より 20くらい 多いです。
「四国」
4つの 国が ある 島。県の 数も 4つ
↓
「九州」
9つの 国が ある島。県の 数は7。
「州」は「国」と 同じ 意味です。
この九国を 九州と 言っています。
九州とは
- 筑前
- 筑後
- 豊前
- 豊後
- 肥前
- 肥後
- 日向
- 薩摩
- 大隅
のことです。
県は
- 福岡が「筑前・筑後と 豊前の 一部」
- 大分は「豊前の 一部と 豊後」
- 佐賀と 長崎は どちらも「肥前」
- 熊本は「肥後」
- 鹿児島県は「薩摩と 大隅」
です。
すべて あわせて 7つの 県です。
国と 都道府県 いろいろ
たくさんの 国から できた 府と県
兵庫県
兵庫県は
- 摂津(西側)
- 播磨
- 丹波(西側)
- 但馬
- 淡路
の 5つの 国から できました。
三重県
三重県は
- 伊勢
- 伊賀
- 志摩
- 紀伊(東側)
の 4つの 国から できました。
京都府
京都府は
- 山城
- 丹波(東側)
- 丹後
の 3つの 国から できました。
大阪府
大阪府は
- 摂津(東側)
- 河内
- 和泉
の 3つの 国から できました。
他に 3つの 国から できた 県は 千葉県、静岡県、岡山県、福岡県などです。
2つの 国からできた 県も、ほかにも たくさん あります。
1つの 国が 2つの 都や 県になった場所
・「武蔵」は、東京都と 埼玉県に なりました。
・「肥前」は、佐賀県と 長崎県に なりました。
昔の「中国」は 今の「中国地方」だけでは ありません!
「国」の 分類
朝廷は 905年に 「延喜式」という 法律の 細則を 作りました。
細則とは、元の 法律よりも さらに 細かい ルールを 決めたものです。
この細則で、 朝廷は「七道」の 国々を 3つに 分けました。
朝廷は 国を「五畿内」からの 距離によって
- 「近国」
- 「中国」
- 「遠国」
に 分けました。
東や 北側の「中国」
現在の 中国地方は、文字通り 昔は 「中国」に 分類されていました。
しかし、今の 中国地方や 北陸地方と 四国の 東側の「阿波」「讃岐」も
「中国」に 分類されていました。