【ぶんか】もっとりたい!西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場かんのんれいじょうめぐり

2021/07/08

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西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場かんのんれいじょうとは?

西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場かんのんれいじょうは、日本にほんの 仏教ぶっきょうの 巡礼じゅんれいの なかで、いちばん ふるい 巡礼じゅんれいです。
観音様かんのんさまを おまつりした おてらを、「観音霊場かんのんれいじょう」と いいます。

  • 和歌山県わかやまけん 3しょ
  • 大阪府おおさかふ 4しょ
  • 奈良県ならけん 4しょ
  • 京都府きょうとふ 11しょ
  • 滋賀県しがけん 6しょ
  • 兵庫県ひょうごけん 4しょ
  • 岐阜県ぎふけん 1しょ

合計ごうけい 三十三所さんじゅうさんしょの おてら(観音霊場かんのんれいじょう)を 巡礼じゅんれいして まわります。
いろいろな 場所ばしょに ありますね。

この 観音霊場かんのんれいじょうを「札所さつしょ」とも いいます。
一番札所いちばんさつしょは 和歌山県わかやまけんの「青岸渡寺せいがんとじ」で、 三十三番札所さんじゅうさんばんさつしょは 岐阜県ぎふけんの「華厳寺けごんじ」です。
華厳寺けごんじ」は「谷汲寺たにぐみでら」とも いいます。

一番札所いちばんさつしょ 青岸渡寺せいがんとじ

三十三番札所さんじゅうさんばんさつしょ 華厳寺けごんじ

西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場かんのんれいじょうめぐりの はじまりと その意味いみ

観音霊場かんのんれいじょうめぐりの はじまり

現在げんざい 八番札所はちばんさつしょと なっている、奈良県ならけんの「長谷寺はせでら」が あります。

そのおてらを ひらいた「徳道上人とくどうしょうにん」という ひとが、
718ねんに 病気びょうきで 仮死状態かしじょうたいになり、冥土めいどで 閻魔大王えんまだいおうに いました。

そのときに 閻魔大王えんまだいおうから

俗人ぞくにん(普通ふつうひと)たちは 生前せいぜんの 悪行あくぎょうによって 地獄じごくに おくられるものが おおい。
俗人ぞくにんたちが 観音霊場かんのんれいじょうへ おまいりして 功徳くどく(よいおこない)を 
地獄じごくに おくられないように しなさい。」

とおげを けました。

つまり「観音霊場かんのんれいじょうまいりは、閻魔大王えんまだいおうからの 指示しじなのです。

観音かんのんとは

仏教ぶっきょうで 最高さいこうの さとりの 境地きょうちに たっした ほとけを「如来にょらい」といいます。
観音かんのんは「如来にょらい」に なれるように、修行しゅぎょうを つづけている ほとけです。
ただしくは「観世音菩薩かんぜのんぼさつ」と いいますが、「観音菩薩かんのんぼさつ」と ばれることが おおいです。

なぜ三十三さんじゅうさんなのか

観音かんのんは 如来にょらいに なるための 修行以外しゅぎょういがいにも、
衆生しゅじょう(俗人ぞくにん)」に 積極的せっきょくてきに すくいの を しのべ、教化きょうかすることも 観音かんのんの 重要じゅうような 仕事しごとです。

観音経かんのんきょう」という おきょうの なかで、
観音菩薩かんのんぼさつは 33とおりの 化身けしん(姿すがたえること)を して
我々われわれ俗人ぞくにんである 衆生しゅじょうを すくうと かれています。

この 観音経かんのんきょうに かれている 三十三さんじゅうさんという 数字すうじから、
観音霊場かんのんれいじょうを 三十三所さんじゅうさんしょと したのです。 

観音霊場かんのんれいじょう観音霊場かんのんれいじょうりの はじまりと 停滞ていたい(まってしまうこと)

閻魔大王えんまだいおうから おげの 証拠しょうことなる 宝印ほういん(ほとけの いん)を さずかり、徳道上人とくどうしょうにんは 現世げんせへ もどりました。
この 宝印ほういんは 極楽往生ごくらくおうじょうの 通行証つうこうしょうと なるもので、
その 宝印ほういんを くばる 場所ばしょが 観音菩薩かんのんぼさつの 安置あんちされている おてらです。

徳道上人とくどうしょうにんは、観音信仰かんのんしんこうを すすめようとしましたが、
すぐには の なかに その意図いと(気持きもち)は つたわらず、巡礼じゅんれいは 発展はってんしませんでした。

徳道上人とくどうしょうにん巡礼じゅんれいじゅくするのを つため、
その 宝印ほういんを 兵庫県ひょうごけんに ある「中山寺なかやまでら」(現在げんざい二十四番札所にじゅうよんばんさつしょ)に おさめました。

徳道上人とくどうしょうにんが その 80さいで くなったため、
三十三所巡礼さんじゅうさんしょじゅんれいは 世間せけんの 人々ひとびとから わすられていきました。

観音霊場巡かんのんれいじょうめぐりの 再興さいこう

徳道上人とくどうしょうにんが 閻魔大王えんまだいおうから 宝印ほういんを たくされたときから 270年後ねんごの 988ねんに ふたたび うごきが ありました。
当時とうじ熊野詣くまのもうで」という「熊野三山くまのさんざん」への 巡礼じゅんれいが、さかんに おこなわれていました。

花山法皇かざんほうおうが 熊野詣くまのもうでを したときに「熊野権現くまのごんげん」が あらわれました。
そして熊野権現くまのごんげんは、
徳道上人とくどうしょうにんが はじめたのに、死後中断しごちゅうだんされてしまった観音霊場かんのんれいじょうを 再興さいこうするように」
と おげを しました。

花山法皇かざんほうおうは さっそく、中山寺なかやまでらで 徳道上人とくどうしょうにんが さずかった 宝印ほういんを し、
三十三所巡礼さんじゅうさんしょじゅんれいを もう一度いちど はじめました。

そして 熊野くまので おげを けたことと、
当時とうじすでに 熊野詣くまのもうでを するひとが おおかったこともあり、
熊野三山くまのさんざんの 一つである「熊野那智大社くまのなちたいしゃ」に 隣接りんせつする「那智山青岸渡寺なちさんせいがんとじ」を 第一番だいいちばんと さだめました。

花山法皇かざんほうおうが 三十三所巡礼さんじゅうさんしょじゅんれいを 再開さいかいされたことから、次第しだいに 観音霊場かんのんれいじょうを 巡拝じゅんぱいするひとが えてきたのです。

西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場かんのんれいじょうの 定着ていちゃく

12世紀せいきごろの 西国三十三所巡礼さいごくさんじゅうさんしょじゅんれいは 修験者しゅげんじゃ(山岳信仰さんがくしんこうの 修行者しゅぎょうしゃ)や 僧侶そうりょなどの 宗教家しゅうきょうかによるものが おおく、一般庶民いっぱんしょみんが おまいりすることは すくなかったようです。

一般庶民いっぱんしょみんに 観音信仰かんのんしんこうが 浸透しんとうし、いまのような 三十三所巡礼さんじゅうさんしょじゅんれいも ねた 観音霊場巡礼かんのんれいじょうじゅんれいになったのは、室町時代むろまちじだいに なってからと いわれています。
とくに 江戸時代えどじだいに なると 伊勢神宮いせじんぐうに 参拝さんぱいする「お伊勢いせまいり」が さかんに なってきました。

伊勢いせから さらに 西南せいなんに あしを ばして 熊野くまのの 那智山青岸渡寺なちさんせいがんとじに き、
近畿二府四県きんきにふよんけんの 観音霊場かんのんれいじょうを まわり、岐阜県ぎふけんの 谷汲山華厳寺たにぐみさんけごんじと、西国三十三所さいごくさんじゅうさんしょ観音霊場巡礼かんのんれいじょうじゅんれいをします。

三十三番さんじゅうさんばんの 谷汲山たにぐみさんを あとは 中山道なかせんどうを とおって 信濃しなのの 善光寺ぜんこうじに おまいりし、江戸えどへ かえる コースまで できたようです。

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