ヨーロッパにも 影響を 与えた 日本の 磁器
2021/09/10
N2
磁器の 歴史
中国で 誕生した 磁器
「磁器」は、今から 1800~2000年前に 中国で 生まれた と いわれています。
そのころ、陶器は ねんどだけで 作られていました。
しかし、磁器は ねんどに 石の 粉を 加えて 陶器よりも 高温で 焼き上げたようです。
磁器の 多くは 真っ白に 焼き上がるので、「白磁」と 呼ばれています。
▼ 白磁
中国で いちばん 有名な 磁器は「景徳鎮窯」です。
白磁に かざりを つけた 磁器が、15世紀ごろの「明」の 時代に たくさん 作られるように なりました。
オランダの 東インド会社が、この「景徳鎮窯」の 磁器を ヨーロッパに 輸出するように なりました。
東インド会社は 今の インドネシアに 本拠がありました。
そして、ヨーロッパで 中国の 磁器が 人気に なりました。
ドイツのザクセンに、アウグスト強王という 人が いました。
彼は、ヨーロッパで 磁器を 熱心に 集め、磁器を「白い金」と 呼んでいました。
そして彼は、ドイツ国内で 磁器を 作りたいと 考えました。
▼ アウグスト強王
日本の 磁器の 歴史
1590年代に、当時 日本を 治めていた 豊臣秀吉という人が いました。
彼は 朝鮮半島に 出兵を決めました。
その時に、九州の 大名の 多くが 朝鮮から たくさんの 朝鮮人陶工を 連れて 帰りました。
1610年頃、 肥前国(今の 佐賀県)の 有田という 場所で、 朝鮮人陶工が 原料の 白磁鉱を 見つけました。
そして 日本で はじめて、磁器の 生産が 始まりました。
「有田焼」の 発展
▼ 有田焼
当初は 磁器の 特徴である 白磁の 土台に、 青色で 絵を つけた 「染付磁器」が 主流でした。
▼ 瀬戸内染付
柿右衛門窯の 登場
肥前国佐賀藩の 藩主である 鍋島家が、1637年に 窯場を 13か所に 統合しました。
当時の 日本では、現在の 都道府県が「国」と 呼ばれていました。
そして「藩」が それぞれの 国を 治めていました。
1643年に、いちばん 有名な 陶工の 酒井田柿右衛門が「赤絵物」を 作り始めました。
鍋島藩は 江戸幕府から「長崎警護役」に 命じられていました。
長崎警護役とは 当時 日本と 外国が 貿易を 行う 場所であった 長崎を 守る 役目の ことです。
そのため、1646年に 初代柿右衛門は 長崎で「赤絵物」を 売り始めました。
1658年には「赤絵物」だけではなく 金銀の 絵付けにも 成功しました。
このころ 中国では 漢民族の 「明」が 滅亡しました。
中国人の 大半は、漢民族だと 言われています。
明が 滅亡した 後で、王朝は 中国北東部の 満州族という 民族が 支える「清」に なりました。
この影響で「景徳鎮窯」の 磁器が ほとんど 生産されなく なりました。
長崎の 出島に、オランダの 東インド会社が 進出していました。
彼らは この 金銀の 絵が 描いてあった「赤絵物」に 注目しました。
そして、「景徳鎮窯」の 代わりに「有田焼」を、ヨーロッパへ 積極的に 輸出し始めました。
この 磁器を 輸出した 港が 伊万里港でした。 そのため、「有田焼」を「伊万里焼」と 呼ぶこともあります。
1710年に ヨーロッパで 初めて 磁器が 作られました。
これを 日本では「マイセン窯」と 呼んでいます。
マイセン窯は 「伊万里焼・有田焼」に 強い 影響を 受けています。
酒井田家では、代々「柿右衛門」の 名前を 受け継いでいます。
現在の 当主は 15代目です。
1971年には 国の 重要無形文化財の 総合指定を受けました。
そして、2001年には 十四代柿右衛門が「人間国宝」に 指定されています。
人間国宝とは、国から 無形文化財を 保持している 人間として 認められた 人のことです。
伝統工芸品の 指定
有田焼は、「伊万里・有田焼」として 伝統工芸品の 指定を 受けています。
同じ 肥前国で 長崎県側で 作られている「波佐見焼」も、 有田焼と ほぼ 同じ 時期に 作られ始めました。
波佐見焼も 伝統工芸品に 指定されています。
「九谷焼」:「有田焼」と 同じくらい ほめられている 磁器
▼ 九谷焼
現在の 石川県である 加賀国の 一部に 大聖寺藩が ありました。
その藩の 初代である 前田利治が、部下に「有田焼」の 技術を 習得させました。
こうして 1655年に 始まった 磁器が 九谷焼です。
九谷焼は「九谷五彩」と 呼ばれています。
これは、白磁の 土台に
- 緑
- 黄
- 赤
- 紫
- 紺青
の 五色で 絵が 描かれて いるからです。
伝統工芸品の 指定
「九谷焼」として 伝統工芸品の 指定を 受けています。
その他 伝統工芸品に 指定されている 磁器
砥部焼
▼ 砥部焼
砥部焼は、やや 厚い 白磁に 呉須と 言われる 染料を 使って、
うすい 藍色の 図案を 描いた 磁器です。
現在の 愛媛県である 伊予国の 砥部町で 生産されています。
もともと この 地域では、7世紀ごろから 刀や 剣などを 研ぐときに 使う 砥石が たくさん 取れる 土地として 有名でした。
1776年に 砥石の くずを 原料として、白磁の 生産が 始まりました。
そして その 磁器は とても 壊れにくいので、すぐに 人気に なりました。
厚めの 磁器で 作られていたので、特に じょうぶでした。
夫婦げんかで 磁器を 投げつけても 割れないので「喧嘩器」とも 呼ばれています。
出石焼
但馬国(今の 兵庫県北部)の 出石という 場所で 作られている、 白磁を 中心とした 磁器です。
特に 透き通るような 白さと、 色を つけないで 浮彫や 透かし彫りで 模様を 出すことで 有名です。
磁器と 旧国名
磁器の 歴史は 17世紀以降です。
そのため 割と 新しい 文化です。
当時は 日本全国に 300以上の 藩が ある 状態でした。
藩名や 藩の 中の 地域名を 付けることが 増えたので、 旧国名が つけられなかったのでしょう。
「出石」は 藩の 名前からつけられました。
また、
は 作られている 地域の 名前です。
「鍋島焼」は「有田焼」と 同じように、現在の 佐賀県である「肥前国」で 作られている 磁器です。
しかし、鍋島藩(今の 佐賀県)の 管理する 窯で 作られたので、「鍋島」という 名前が 付けられています。
(文章・画像提供:gmaru様)