【ぶんか】日本の 着物 とくに 絹織物に ついて
2021/12/09
N3
着物に 使われる
16世紀ごろまで 日本人の 着物に 使われる 織物は、「麻」か 「絹」で、
ふつうの 人たちが 「麻」を 使い、えらい人たちは 「絹」を 使いました。
江戸時代(17世紀)に なると、綿が 多く そだてられ、木綿の 着物が 急速に 普及しました。
1628年に 幕府は、「百姓着物之事」という 法律を 指定しました。
この 法律では、百姓が きる着物を 決めて いました。
百姓の 着物は 麻か 木綿だと 決めました。
ですが、村の 政治や 安全に かかわった 「名主」の つまは、「紬」の 着物を きることができました。
「つむぎ」は 絹で 出来た 織物です。
しかし、まゆの くずから 作った 糸で 作られて いましたので、すこし 安い 絹の織物でした。
「麻」は 育てることや せんいにすることが むずかしかったので、
ふつうの 人々の 織物として 人気が なくなり、わたの 着物が ふつうでした。
次に、着物を 作る 織物として、いちばん 多く 使われていた 「絹」について 説明します。
「絹」の 織物
「生糸(生糸)」と 「紬糸(つむぎ糸)」
絹織物に 使う 絹糸は 大きく 分けて、
- 滑らかな タッチの 「生糸」
- 少し ザラザラする 「つむぎ糸」
に 分かれます。
蚕は さなぎに なるときに、1000mより 長い 一本の 糸を 出して まゆを 作ります。
「生糸」は きずが ない まゆから 直接 とった 長い 糸を 取った もので、つるつると しています。
「つむぎ糸」は きずが ある まゆを 湯に つけて ひらき、かわかして 作った 「まわた」を ほぐして 糸に した ものです。
つむぎ糸は、少し ザラザラします。
生糸を 使った 「西陣織」
西陣織の 歴史
5世紀の ころに 中国から 来た 秦氏が 山城国(京都府)に 住み、
かいこの 育て方と 絹織物の 作り方を 伝えました。
この地域は 今 「太秦」と 呼ばれて います。
「東映太秦映画村」が 有名です。
もともと 秦氏が いた 場所で、絹を 「うずたかく つんだ」ことから 「うずまさ」と 呼ばれました。
今の 西陣地区への 集中
8世紀の おわり、 平安京に 首都を 移動した あとの 朝廷は、
「織部司」という 役所を 作りました。
「織部司」では、国の 仕事として、綾や 錦の ような 高い 絹織物を 作らせました。
1467年~1477年に、京都で 「応仁の 乱」という の 戦争が 起きました。
西の 軍が キャンプを おいた 場所なので、「西陣」と 呼ばれました。
そして、その 地域で 作られる 織物を「西陣織」と 呼ぶように なりました。
西陣織の 特徴
先に 染めた 生糸を 使って、色や もようを 出した いちばん 高い 絹織物です。
11代 将軍の 徳川家斉は 西陣織が 好きで、よく 着て(おめしになって)いました。
ですから、この 織物のことを 「お召し」と 呼びました。
伝統的工芸品に なった 「西陣織」
- 生糸から 作られた 11の タイプの 絹織物
- つむぎ糸を 使った 1つの タイプの 「つむぎ」
の 12の タイプが 伝統工芸品に なって います。
「生糸」を 使った 伝統工芸品の 絹織物には、「西陣織」の ほかにも、福岡県の 「博多織」が あります。
「つむぎ糸」を 使った 「結城紬」や 「大島紬」
紬の 変化
「結城紬」や 「大島紬」は、高級品の イメージが 定着して きました。
もともとは 「紬」が くず繭から 作った 「紬糸」で 織られ、日常の 衣料や 農作業用の 服(野良着)に 使われて いました。
江戸時代 なかごろから、「絹」は 高い 着物として 規制されるように なりました。
そして 普通の 人々は、「絹」を 着ることが できなく なりました。
「つむぎ」の 着物は 絹ほど きれいではなく、ごつごしていました。
ですから 「木綿」の かわりに 着て いました。
時間が たつと、「つむぎ」の 良さが 知られるように なりました。
そして 「結城紬(結城紬)」や 「大島紬(大島紬)」が 人気に なりました。
伝統工芸品としての 「結城紬」と「大島紬」
「結城紬」は、茨城県と 栃木県を 流れる 鬼怒川の 近くで 作られて います。
むかしから 絹織物が 作られて いた 場所です。
「鬼怒川」という 漢字は、明治時代に なって 使われる ように なりました。
しかし、その前は 「絹川」と言われたことも あったようです。
「大島紬」は 薩摩国(今の 鹿児島県)の 奄美大島で 作られて います。
大島紬は、「本場大島紬」という 名前で 伝統工芸品に なって います。
絹織物の まとめ
絹織物は、もともとは 生糸を 使った おかねもちの ための 織物でした。
しかし、使いやすい つむぎ糸で つむぎが 作られるように なりました。
そして「結城紬」や 「大島紬」のような、高い 織物も 生み出されたようです。