西国巡礼でも よく 目にする 漢字に ついて
2022/02/08
N2
漢字の 話
西国巡礼の 一番札所である 「青岸渡寺」や 八番札所である 「長谷寺」などの お寺の 名前は、 漢字で 書かれます。
巡礼の 信仰の 対象である 仏様は、「千手観音も 漢字」ですが、その観音様の 名前も 漢字で 書かれています。
お寺に 納める 「写経」も 漢字で 書きます。
このように 西国巡礼にも 深く 関わっている 「漢字」について 少し 説明を したいと思います。
漢字の 字体
世界の 中で、 新聞や 公的文書に 漢字が 使われているのは、日本 以外では、 中国と 台湾 だけです。
台湾では、 「繫体字」と 呼ばれる 難しい 字体の 漢字を 使います。
中国では 「簡体字」という 思い切って 簡単にした 字体を 使っています。
台湾と 中国では、 字体は ちがいますが、文章は すべて 漢字を 使っています。
ちなみに、 繫体字で書くと、「台湾」は 「臺灣」です。 「中国」は 「中國」です。
「繫体字」は 「繁體字」です。 それぞれ 複雑な 字に 変わります。
現在、 日本では 公的文書には 「常用漢字」と 呼ばれる 字体を 使用しています。
時には、 台湾の 「繫体字」に 当たる 文字を 「旧字体」として 使うことも あります。
日本語の 特徴は、 1000年以上も 前に 日本で 発明された 「かな」を 使っている ところです。
「漢字」と 「かな」が 混ざった 文章です。
「当用漢字」「常用漢字」
漢字の 数は 5万字以上 あると 言われています。
書くのが 難しい 字や、 日常では 使われない 字が 多かったので、 いまから 100年くらい 前に、 漢字を 整理しよう という 動きが ありました。
当用漢字
1946年に、当時の、 国語審議会 という ところが、
「法令・公用文書・新聞・雑誌・一般社会で使用する漢字」を 「当用漢字」と 名付けて、 1850字を 選びました。
このとき、 当用漢字のうちの 300字ほどが 書き方が 難しいので、 簡単な 字体に 変更されました。
もともとの字体を 「旧字体」としました。
たとえば、 西国巡礼に 深く 関わっている 「書寫山」の 「寫」という 漢字は、「写」になりました。
「圓教寺」の 「圓」という 字も 「円」に なりました。
ガイドブックなどでは、 この 新しい 字体が 使われています。
また、「佛敎」は 「仏教」に 直され、「お經」は 「お経」に 直され、 「觀音」も 「観音」に 変更されました。
お寺によっては、 お寺の 古い 歴史を 感じさせるためか ホームページや 看板などで この 古い 字体を 使っている ところも あるようです。
ちなみに、 「旧字体」という 漢字は 変更されたあとの 新しい 字体です。
元の 字体で 書くと 「舊字體」 と書きます。
旧字体では、 「旧」は 「舊」で、 「体」は 「體」です。
とても 難しい 字なので、 一般人には 書くことが できず、もちろん 読むことも 難しいです。
カタカナの 推奨
また、 このとき 外国の 国名や 外来語は、漢字ではなく カタカナで 書くことが 推奨されました。
たとえば、 外国の 国名は
「インド(漢字では印度)」や 「ベトナム(越南)」などと 書くようになり、
食べ物も 「ハム、ソーセージ」「ビーフステーキ」などと 書くようになりました。
常用漢字
当時は、 「洪水」の 「洪」や 「雨傘」の 「傘」が 当用漢字に 含まれて いませんでした。
「こう水」「雨がさ」と 書かなければ いけないので、 不便でした。
1981年に、これらの 不便さを なくすため、
「洪」「傘」や、 「猿」「猫」など、
96字を 「当用漢字」に加えました。
その呼び名も 「常用漢字」と 改められて、 1945字に なりました。
2010年には、 さらに 196字が 追加され、 5字が なくなり、現在の 2136字に なりました。
この「常用漢字」は、 日常の 社会生活で 分かりやすく 通じやすい 言葉の 目安とされます。
教育の 場では 「教育漢字」とされ、 小学校で 1026字、
中学校で 残りの 1110字を 書けるように することが 求められています。
高等学校では この 2136字 すべてを 正しく 読めることが 求められています。
日本独自の 仮名文字
仮名の 歴史
日本には もともと 文字が ありませんでした。
日本語の 独特の 言葉は、 中国から 伝わった 漢字の 「音」を 借りて 作っていました。
5世紀ごろから、 漢字の 音を 使って、 「かな」として 使っていた ようです。
日本で 最も古い 和歌集である 「万葉集」で 使われたので、
「万葉仮名」と 呼ばれています。
たとえば、 「初春の」を 「波都波留能」として、 一字づつ 漢字を 当てはめて いました。
ひらかなと カタカナの 誕生
ひらかなは、 1000年くらい 前に、 漢字を くずして 書く「草書体」から 生まれた と言われています。
「あ」という 字は、 「安」を くずしたもので、「い」は 「以」を くずした ものです。
ひらかなは、 特に 女性に 向いている 字と 言われます。
当時の 女性である 「紫式部」や
「清少納言」という 人人たちが
「源氏物語」や 「枕草子」という 読み物を 書きました。
カタカナは もっと 古くから あり、 「正倉院」の 公文書には、「多」を 「タ」と書いてあり、 「牟」を 「ム」書いてあり、カタカナの 原型のような 字が 残っています。
ひらかなは 草書体から 生まれましたが、 カタカナは 漢字の 「偏」や 「旁」といわれる 漢字の 一部から 作られています。
ほかにも、 「イ」は 「伊」の 左側の 「偏」である 「イ」から できており、「ニ」は 「仁」の 右側の 「旁」である 「ニ」から 作られています。
ひらかなとカタカナの使い分け
現在、ひらかなは 漢字とともに 文章に 使われています。
カタカナは 国名や 外国語に 使われています。