【ぶんか】沖縄の 染めもの「琉球びんがた」
2022/04/08
N3
琉球びんがた
沖縄県を イメージすると 南の国らしい 色の きれいな 着物を 思い浮かべる でしょう。
この 衣装が 「琉球びんがた」 です。
琉球とは 沖縄の 昔の 名前です。
京都の 友禅 と同じくらい 世界で 知られています。
漢字で 「紅型」と 書きます。
しかし 沖縄では 「びんがた」と ひらがなで 書きます。
染める お仕事の 組合も 「琉球びんがた組合」と いいます。
びんがた という ことばは 1924年に 鎌倉芳太郎 という人が 考えました。
染め物の お仕事と 沖縄の 文化の 研究を していました。
琉球が 生んだ 染め物 「びんがた」
琉球王国は 近くの 国と 戦争を しないで 貿易を して 栄えていました。
14~15世紀ころ 貿易で インドの 更紗や ジャワ更紗や 中国の 印花布 という
染め方を 取り入れました。
そして 「びんがた」が できました。
「琉球びんがた」の すばらしい ところ
南の国らしい 華やかな きれいな 色 です。
大胆な 色や 柄が あります。
はじめは 琉球の 王様や えらい人たちの 礼装 でした。
現在は 琉球舞踊の 衣装 として 有名です。
3種類の びんがた
型紙を 使って 染める やり方には 「びんがた」と「いぇーがた」の 2つが あります。
もう一つは 丸い つつで もようを 描く 「つつがき」 です。
びんがた
「びん」は 「色」のこと です。
赤 黄 青 緑 紫を 使います。
「がた」は もようの こと です。
色が 大胆で きれい なので 服に 使われます。
いぇーがた
いぇーがたは 藍色(こい青色)で 染めます。
こい色と うすい色と 生地の 白色で 大きな もようを 表します。
現在は 夏の 服として 人気です。
びんがたが 王様や えらい人の 服として 使われた 時代には
いぇーがたは ふつうの人の 服でした。
つつ描き
ぬいびちという わざを 使います。
丸い つつと のりを 使って もようを 描きます。
描くときに のりを ひくので のりびきと いいます。
沖縄の 言いかたでは ぬいびち になります。
ふろしきや まく として 使います。
ふろしきは けっこんなど おめでたい時に まく として 使います。
大きな まくは お祭りで 使います。
もようは 吉祥文様が 描かれます。
琉球びんがたが 衰退し そして また 復興する
衰退
琉球の 王様が 琉球びんがたを 守っていました。
1609年に 琉球は さつま藩の ものに なります。
そのあと 琉球びんがたは 日本の やり方に 変わりながら
時代の 変化に 合わせて 発展しました。
1879年に 「琉球しょぶん」 がありました。
琉球が 日本の ものに なりました。
そして 琉球 という 名前が なくなり 沖縄 になりました。
琉球の 王様に 守られていた 琉球びんがたは 衰退して しまいました。
そして 沖縄で 戦争が ありました。
琉球びんがたの たくさんの 型紙や 道具が 壊れて なくなりました。
戦争の 後に 復興する
「びんがた」という ことばを 考えた 鎌倉芳太郎さん。
この人が 琉球びんがたの 型紙や 道具を 日本に 持って 帰り ました。
「ちねん」と「しろま」 という 名前の 人たちが この 型紙を もらい
びんがたを また 作り 復興する ために 努力 しました。
いろいろなものが とても 足りない ので 大変 でした。
型紙が ない 時は 地図を 使いました。
のりの ヘラが ない 時は レコードを 使いました。
つつが ない 時は 鉄砲の 弾を 使いました。
鉄砲の 弾を 使っている 時に 爆発した ことも あります。
とても 苦労 しました。
伝統工芸品になる
いろいろな 人たちが 努力して 復興した ので
1984年に 「琉球びんがた」は 伝統工芸品に 指定され ました。