【ぶんか】和装小物わそうこもの組紐くみひも」の はじまりは 1万年前まんねんまえの 縄文時代じょうもんじだい

2022/03/09

組紐くみひもについて

組紐くみひもとは

組紐くみひもとは そのままの 意味いみで、いとを んで つくった ひもです。

現在げんざいでは 着物きものの おびどめに 使つかわれます。また、はこや ふくろなどを つつむときに 使つかう ひもや ストラップなどにも 使つかわれています。

この組紐くみひもでは「伊賀組紐いがくみひも」と「京組紐きょうくみひも」が 有名ゆうめいで、生産量せいさんりょうが もっとも おおいのは「伊賀組紐いがくみひも」です。

伊賀組紐いがくみひもの 特徴とくちょうは、あざやかに められた 絹糸きぬいとに 組糸くみいととして 金糸きんし銀糸ぎんしを 使つかって げられ、これらが まじわって かがやうつくしさです。

とくに、で げた ものは もっとも 上級じょうきゅうな ひんで、伝統的工芸品でんとうてきこうげいひんにも 指定していされています。これは、独特どくじの 風合ふうあいのある はなやかな 組紐くみひもです。

組紐くみひもの 歴史れきしと はじまり

組紐くみひもの 技術ぎじゅつは、むかしから 日本にほんに あったようです。現在げんざいの 組紐くみひもの 技術ぎじゅつは、6世紀中せいきちゅうごろの「仏教伝来ぶっきょうでんらい」と ほとんど おなじときに、大陸たいりくから つたわったと われています。

組紐くみひもの はじまりは 1万年前まんねんまえの 縄文時代じょうもんじだい

縄文時代じょうもんじだいの「縄文じょうもん」は「縄文土器じょうもんどき」から 名前なまえが けられています。

縄文土器じょうもんどきとは「なわ」の 模様もようを つけた 土器どきの ことです。このなわは 植物しょくぶつの「シダ」を んで つくった 初期しょきの 組紐くみひもです。

なわといえば 「わらなわ」を おもかべることが おおいと おもいます。しかし、「わら」が 使つかわれるのは 2300年前頃ねんまえごろの「弥生時代やよいじだい」に 稲作いなさくが はじまってからです。
 

仏教ぶっきょうと 組紐技術くみひもぎじゅつが つたわる

仏教ぶっきょうが つたわる まえにも、組紐くみひもの 技術ぎじゅつは ありました。古墳こふんなどから 発見はっけんされる 埴輪はにわにも 簡単かんたんな 組紐くみひもを つけたものが あります。

6世紀半せいきなかばば、仏教ぶっきょうつたわったときに、経典きょうてんや 僧侶そうりょの 袈裟けさ(衣装いしょう)などに 使つかわれる いまのような 組紐くみひもの たかい 技術ぎじゅつが つたわりました。

法隆寺ほうりゅうじや 正倉院しょうそういんの 宝物たからものの なかにも 組紐くみひもが のこっています。

組紐くみひもと 時間じかんごとの うつわり

飛鳥あすか奈良時代ならじだい 6世紀後半せいきこうはんから 8世紀頃せいきごろまで

仏教ぶっきょうと 一緒いっしょに つたわったので、経典きょうてんや 袈裟けさのほか、おてらの なかの かざりになる 仏具ぶつぐや おどうの そとに けるはたにも この組紐くみひもが 使つかわれていたようです。 

法隆寺ほうりゅうじに のこされている 聖徳太子しょうとくたいしの ぞうには 組紐くみひもで かたなを る 太子像たいしぞうが えがかれています。高貴こうきな ひとの アクセサリーとしても 使つかわれていたようです。

このころから 現在げんざいの 三重県伊賀市付近みえけんいがしふきんで 専門的せんもんてきに 組紐くみひもが つくされました。いまでも この地域ちいきが 一番いちばんの 生産地せいさんちと なっています。

平安時代へいあんじだい 9世紀せいき

飛鳥時代あすかじだいや 奈良時代ならじだいに 朝鮮半島ちょうせんはんとうを つうじて つたわったので、いろの かずも あまり おおくありませんでした。デザインも まる四角しかくなどの 模様もようが おおく、大陸風たいりくふうの ものでした。

貴族きぞくの 時代じだいとなった 平安時代へいあんじだいからは、大陸風たいりくふうの デザインよりも 色彩しきさいが より ゆたかになり、複雑ふくざつな 網目あみめが 使つかわれました。そして、繊細せんさいな 和風わふうの おもむきが つよくなりました。

様々さまざまな 目的もくてきで 使つかわれ、貴族きぞくの かんむりや 着物きものの アクセサリーのほか、おまもりを くびから つるすための ひもなども つくられました。

また、荷物にもつを つつときにも 組紐くみひもが 使つかわれました。貴族きぞくが それぞれ むすかたを 工夫くふうし、ほかひとが むすびなおした 場合ばあいには、すぐに かりました。これは 防犯ぼうはんの 目的もくてきも あったようです。

伊賀組紐いがくみひもの つぎに 生産量せいさんりょうが おおい 京組紐きょうくみひもは このころから 現在げんざいの 京都府宇治市周辺きょうとふうじししゅうへんで はじまったようです。

鎌倉時代かまくらじだい 13世紀せいき

みひもの 技術ぎじゅつは 平安時代へいあんじだいに 発展はってんしました。

そして さむらいの 社会しゃかいとなった 鎌倉時代かまくらじだいには 組紐くみひもが 様々さまざまな 目的もくてきで 使つかわれました。よろいや ほかの 武具ぶぐの アクセサリーとして 使つかわれるように なりました。


武具ぶぐなどに 使つかわれるように なったので、実用性じつようせいが 重視じゅうしされるように なりました。そのため、いろが いたものに なりました。

室町時代むろまちじだい安土桃山時代あづちももやまじだい 15世紀せいき


組紐くみひもの かた そのものには おおきな 変化へんかは ありませんでした。茶道ちゃどうや 華道かどうが 人気にんきになり、これらに 使用しようする 道具どうぐの かざりの ために 組紐くみひもが おおく つくられました。

茶道ちゃどうの 道具どうぐを 保管ほかんする 場合ばあいには、専用せんようの ふくろに れたり、はこに れたりする 必要ひつようがあります。

たかい 茶器ちゃきが こわれないように したり ほかひとに 勝手かってに られないように する 工夫くふうも 組紐くみひもに ありました。

裏千家うらせんけや 表千家おもてせんけのような 茶道ちゃどうの 流派りゅうはごとに ちがう 組紐くみひもの むすかたを しています。

江戸時代えどじだい 17世紀せいき


はじめの ころは さむらいの ちからが つよく、かたなの 下緒さげおや そのの 武具ぶぐに 使つかわれることが おおくなりました。組紐くみひもの 専門せんもん技術者ぎじゅつしゃも えて「伊賀組紐いがくみひも」「京組紐きょうくみひも」に つづいて 「江戸組紐えどくみひも」も出来できました。

中期以降ちゅうきいこうには、経済けいざいの 中心ちゅうしんと なってきた 町人ちょうにんの ための 組紐くみひもも つくられるように なりました。

武士ぶしの 道中着どうちゅうぎを 工夫くふうした 羽織はおりが つくられ、羽織紐はおりひもも つくられました。

江戸末期えどまっきになると 組紐くみひもは 一般いっぱんの ひもにも おおく 使つかわれるようになり、帯留おびどめや 帯締おびしめにも 使つかわれていきました。

明治時代めいじじだい 19世紀末せいきまつ

1876ねんの 廃刀令はいとうれいによって、刀等かたななどの 武具用ぶぐようの 組紐くみひもは かなり りました。そして、現在げんざいまで 和装品わそうひんとしての 羽織はおりひもや 帯締おびしめが おおく つくられるように なりました。

現代げんだいの 組紐くみひも


生活せいかつが 洋風化ようふうかし 和装用品わそうようひんだけでなく、キーホルダーや ブレスレッドなどの アクセサリーにも おおく 使つかわれるように なっています。

まとめ

組紐くみひもは、このように なが歴史れきしを ちます。1976ねんに「伊賀いがくみひも」「きょうくみひも」として くにの 伝統的工芸品でんとうてきこうげいひんに なりました。

世界せかいを ると、現在げんざいでは ほとんど つくられていない ようですが、地球ちきゅうの 裏側うらがわの ペルーの アンデス地方ちほうでは 高度こうどな 組紐くみひもが 紀元前きげんぜん700ねんごろから つくられていたそうです。

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