【ぶんか】世界遺産の 熊野古道を 歩いてみよう
2022/03/31
N2
世界遺産の 熊野古道
熊野古道とは「熊野三山」という 山へ 行く時に 通る 道です。熊野三山へ 行くことを 「熊野詣」と 呼びます。
日本では 昔 山に 神様が いると 信じられて いたので 山に 行くことは 神聖な ことでした。
「熊野詣」が どうして 始まったかや、「熊野古道」に ついての 詳しい 説明は 後半で 行います。
まずは 世界遺産である「熊野古道」を 歩く おすすめの コースを 紹介します。世界遺産とは 世界的に 価値が あると 認められている 文化的な 場所の ことです。

「熊野三山」の 中心である「熊野本宮大社」への 道
「発心門王子」~「熊野本宮大社」
熊野本宮大社の 神域の 入口である「発心門王子」からの 出発です。神域とは 神様の いる 場所のことです。「発心」とは 信仰の 心を 発する という 意味です。
約1000年前の 日本の 首都は 現在の 京都市にある 平安京でした。この場所から 行う「熊野詣」は、250㎞以上の 距離が あります。 徒歩で ほぼ 2週間 かかりました。
発心門王子からの コースは 約7kmの 距離です。しかし、熊野詣を 行う 人々は「遠くて 苦しい 旅」の 最後に 熊野本宮大社を 見て 感動したそうです。
ぜひ 昔の 人たちの 苦労を 想像して 歩いて みましょう。
この コースは 少し「上り下り」が あります。しかし 全体としては 少しずつ 下っていきます。そのため 森の 中を 歩いたり 古い 山里の 雰囲気を 味わったり することが できる 道です。
熊野本宮大社は 紀元前 33年に 第10代 崇神天皇が 社殿を 作った 古い 神社です。
社殿とは 神社の、神体が 置いてある建物です。神体とは その 神社で 一番 尊敬される 神様が 宿る 対象の ことです。熊野川の 河原に ありました。
本殿は 明治時代の 大きな 洪水で 流されました。本殿とは その 神社で 神様が 置かれている 場所です。
現在の 社殿は 山にある 上四社だけに なりました。そして、河原には 大鳥居が 建てられています。大鳥居とは 、神社で 神域と 人間が 住む エリアを 分ける ものです。
発心門王子への 行き方
JR西日本
阪和線天王寺駅~紀勢本線紀伊田辺駅 2時間弱
龍神バス 紀伊田辺駅~発心門王子 2時間20分
バスは 終点の 発心門王子到着の 約15分前に 熊野本宮大社前の バス停にも 止まります。
しかし 熊野古道歩きを 楽しむことが 一番の おすすめですから、ぜひ バスの 終点から 歩いて 戻ってきてください。
「大門坂」~「熊野那智大社」で 日本一の「那智の滝」!
杉の 木が たくさん あり 苔が 生えた 石の 段を 登っていく「熊野古道」の 雰囲気を 楽しむことができる 1.1㎞程度の コースです。
山を 登り終えて 熊野大社に 参拝した後、隣に ある 西国 1番札所「那智山青岸渡寺」に 入ります。
参拝とは お寺や 神社に 行って お祈りを することです。お寺を 回って 旅をする ことを 巡礼と 呼びます。 その 巡礼を する時の 順番を 示すものを 札所と 呼びます。

お寺の 展望所から 北を 見ると「三重塔」の 向こうに 日本一の「那智の滝」を 見ることが できます。展望所とは、景色が きれいに 見られる 場所のことです。
このコースでは、「熊野詣」と 「観音巡礼」の 両方を 楽しむことが できます。この「大門坂」、「熊野那智大社」、「那智山青岸渡寺」、「那智の滝」も すべて 世界遺産です。
「大門坂」への 行き方
JR西日本
紀勢本線 天王寺駅~紀伊勝浦駅 3時間35分
熊野御坊南海バス 紀伊勝浦駅~大門坂 20分
熊野古道とは 何でしょうか?
熊野古道は、1000年以上前の 平安時代に 始まった「熊野詣」で 歩いた 道です。
「熊野詣」とは
現在の 京都にある 平安京から「熊野三山」に 行くことを「熊野詣」と 言います。
「熊野詣」は 平安時代の「上皇」や「法皇」が「熊野三山」に お参りを する「熊野御幸」が 起源だと 言われています。
日本の 王様は 天皇です。上皇とは 引退して その 権利を 子供などに 譲った後の 天皇の ことです。
法皇とは 上皇が 仏教で 出家したあとに 呼ばれる 呼び名です。 出家とは 仏教において 仏道の 生活に はいることです。
天皇が 外出することを「行幸」と 呼びます。「上皇」や「法皇」が 外出することを「御幸」と 呼びます。
天皇は 公務が あるので 京都を 出ることが 出来ません。公務とは 天皇の 仕事のことです。そのため、天皇による 熊野行幸は ありませんでした。
熊野御幸
908年に 宇多法皇が、992年に 花山法皇が それぞれ 1度だけ「熊野御幸」を 行っています。
花山法皇は この時に「熊野権現」から お告げと 呼ばれる メッセージを 受けました。熊野権現とは 熊野三山という 山に いる 神様のことです。
そのお告げで、そのころ いったん 行われていなかった「西国巡礼」を 再び はじめました。西国巡礼とは 日本で 昔 西国と 呼ばれていた 関西の 地区で 行われていた 巡礼のことです。
熊野詣が 熱狂的な 高まりを 見せる きっかけと なったのは、花山法皇の 約100年後の 1090年に 白河上皇が 熊野に 行って、合計9回も 熊野御幸を 行ったそうです。
鎌倉時代の 1281年の 亀山上皇の 熊野御幸が 最後です。しかし、370年ほどの 間に 100回も 行われました。
特に 後白河法皇は 33回も 熊野御幸を 行いました。
この 熊野御幸が きっかけで 熊野詣を 貴族が 行うようになりました。そして、その後 一般庶民にまで 広がりました。
人々が その道を 行く 姿が まるで 蟻が ぞろぞろと 歩くように 見えたので「蟻の 熊野詣」と 言われました。